宅急便はクロネコヤマトの株式会社ヤマト運輸の商品名です。クロネコヤマトは時間帯お届けのサービスで配達時不在を解決しました。
クロネコヤマトと言えば宅急便。宅急便と言えばクロネコヤマトですね。宅急便はクロネコヤマトの株式会社ヤマト運輸の商品名です。整理すれば、株式会社ヤマト運輸のトレードマークのクロネコヤマトが提供している宅配便サービスの商標が宅急便というサービス名であるというわけです。クロネコヤマトのヤマト運輸はかつては大和運輸といって三越や松下電器産業などの専属配送業者でした。1974年頃のオイルショックなどで経営が不安定になったのと、運送業界の時代の流れに遅れて大和運輸は低迷していました。そこで創業者の長男で家業を継いでいた二代目社長の小倉昌男社長の決断により、クロネコヤマトのヤマト運輸は個人を対象にした小口高速配送システムの宅急便を開始して、大手企業に依存した専属配送事業から決別をするという大英断を下しました。宅配便とは、比較的小さな荷物を各戸へ配送する輸送便で、国土交通省の用語では「宅配便貨物」と規定されています。
クロネコヤマトの株式会社ヤマト運輸は先代社長小倉昌男社長抜きには語れませんね。1976年1月20日に、当時の大和運輸社長の小倉昌男は現状を打破するために、宅配便のサービスを開始します。1日目の取扱量は11個だったそうで、言ってみればクロネコヤマトの宅急便は11個の荷物からスタートした!と見出しができます。この物語はかつてNHKのプロゼクトXで取り上げられました。当時はだれも小さな荷物を運送会社に頼むと言う考えがありませんでした。今振り返れば感動のドラマですが、当時のクロネコヤマト小倉昌男社長の大胆な発想には感心します。クロネコヤマトの小倉昌男社長は東京大学経済学部卒業して、父・康臣氏が経営する大和運輸に入社。1971年、康臣の後を継いで社長に就任した。小倉昌男社長が当面の危機に対してなんとか活路を宅配便に見出そうとしたのでしょう。そしてクロネコヤマトのヤマト運輸が中小の運送会社から売上高一兆円の大手運輸会社に発展する基礎を築きました。
クロネコヤマトは全国へ宅急便営業所のネットワークをつくりました。この全国へネットワークがクロネコヤマトを日本一の宅配業者にしました。そして「サービスが先、利益は後」という考えを全社員に浸透させていきました。クロネコヤマトが宅配業界で40%のシェアを占めていますが、これは「サービスが先、利益は後」という考えがあったからでしょう。またその方針を継続擦るために、サービス開始当初は翌日配達を掲げていましたがどうしても翌日配達できないものが1割以上あることに気が付きました。なぜ翌日配達が出来ないかと言えば、コロンブスの卵でお客が家にいないときに配っていたからでした。そこでクロネコヤマトは時間帯お届けの在宅時配達へ切り替えました。考えてみれば留守の家に配達するロスをなくすればコストは却って少なくなるわけですね。実際には大変な作業があったのでしょうが、発想の転換がクロネコヤマトを現在も業界のリーダーである原因でしょう。